AegisFile更新

要するに「己が身を省みない」「他人を気にしない」のが今語っている性格設定なわけですが、この後半を「他人のために一生懸命」と取り替えてしまいますと、あら不思議、すごくフツーの特撮ヒーロー筆頭とする“正義の味方”だったりするわけですが。
他人に興味を持って積極的に助けようとするからそこにドラマが発生するのであって、特に興味もなくスルーしてしまった場合に人情ドラマが成り立つかというと成り立ちません。すごくぶっちゃけて、崇高な志を持つヒーローが、他人を助けることによって心身共に素晴らしいものをもたらすのだ! というのがその骨子だと思うんですが。
他人を気にしない場合、他人の感情のどうこうというものは気にならないもので。
人情ドラマもへったくれもなく、そこに人情が存在しません。まあそれでも、自分を助けてくれた相手の淡々とした風情に心癒される、という展開も可能といったら可能なんでしょうが、その場合、話が被害者となった人物を中心にしてないとちょっと不可解な描写です。あ、いや、ホームズとワトソンのパターンってこのラインなのか、、、なるほど。
フィクションの中の正義って絶対正義なんですよね、要するに。犯罪者と探偵ならそんな関係も可能だし、ヒーロー特撮や時代劇なんかでもきちんと悪の括りとして出てきてくれるので風通しがいいんですが。ぶっちゃけて状況が錯綜してる中で素人に口出しされたら単に普通に邪魔じゃん? 悪に対しての正義って、それが能力的には素人として描かれていても立場的にはちゃんとプロじゃないですか、関与するのが正しいわけで。
正しいことをしたら状況が改善されるものなので、感謝されるんだと思います。そしてそこに人と人との触れ合いが展開し人情ドラマになるのではないのかと。
“正義の味方”と風通しのよくない悪(立場が曖昧)をぶつけた場合、それはそれで面白いんでしょうが、これも話が乗っ取られるよなぁ。そこを書きたいのはありかなと。